Production notes

トラン・アン・ユン監督が
初めてフランスを舞台にした理由

1962年にベトナムで生まれたトラン・アン・ユン監督は、1975年に両親と弟と共にフランスへやって来た。パリ19区に家族を下ろしたタクシーに代金を支払った後、彼の父親のポケットには17ドルしか残っていなかったという。貧しかった両親は、翌日からすぐに働き始め、戦争のせいで親戚とも離ればなれになっていたため、トラン・アン・ユンは大家族の暮らしというものを知らずに育った。だからこそ、アリス・フェルネの小説「L’Élégance des Veuves」(訳:未亡人たちの優雅さ)を読んだ時、「大家族の親子の関係や家系の物語に圧倒された」と振り返る。「この本のテーマに心を揺さぶられたのは、そうした理由だ。大家族に、揺るぎのなさや永続性を感じ、素晴らしいことだと思った」。

そうして、映画化を決意したトラン・アン・ユンは、彼の長編デビュー作『青いパパイヤの香り』のプロデューサーであるクリストフ・ロシニョンに電話をかける。その時、既にトラン・アン・ユンは予感していたという。「これまでにないタイプの映画が出来上がるだろうと思った」。


ナレーションと音楽で物語を綴る
革新的なアプローチ

「この映画に“シーン”はない」と、トラン・アン・ユンが驚きの発言をする。「俳優たちから発せられる存在感と人間性が『エタニティ』の本質だ」。そのため本作は、極めて台詞が少ない。トラン・アン・ユンは、「僕はただ、人の死と誕生を通して、さらにお互いを抱きしめ合うことを通して、人生の永続性という感覚を観客に与えることに専念した」と説明する。「この映画は、人生、愛、時間の流れに贈る讃歌だ。そしてもっと広義に言うと、夫婦間の愛に対しての讃歌でもある。観客は、男女が共に生きることを誓い、何かを作り上げて行く姿を見ることになる」。

台詞に代わるものとして、ナレーションが採用された。登場人物のものではなく、誰かはわからない第三者の声だ。トラン・アン・ユンは、「僕はアリス・フェルネの小説を、彼女の内なる声として読んだので、ナレーターの声は女性であることが自然だった」と説明する。

さらに音楽が、ストーリーテリングの役割を果たしている。クラシック音楽を選んだ理由を、トラン・アン・ユンは「僕が用いた音楽は、登場人物の内なる感情を上手く反映させている。同時にこうした音楽は、観客と作中の悲劇との間の程よい距離を維持させるのにも一役買っている。音楽はナレーションと結びつき、物語を作り上げた」と語る。


フランスが誇る3人の女優たちの
“かつてない”役作り

「私はこのキャラクターに、できる限りの親密さを細部に至るまで注ぎ込んだ」とオドレイ・トトゥが、自身の役作りについて語る。「私はただセットの一部になったの。何かになろうとさえしなかったわ。赤ん坊に対しては、演技はしなかった。ただ見つめて、愛するだけよ! 子供たちとは、絆を作り上げて、彼らが撮影中に自信を感じられるようにしたわ」。

ベレニス・ベジョは、初めて脚本を読んだ時、「時間が絶え間なく前後し、台詞はほとんどなく、理解するのはかなり困難だった」と告白する。さらに撮影現場での苛立ちも正直に打ち明ける。「演技ではなく、機械のように正確であることが求められたの。ある日、結婚式の後という設定で、ドレスのボタンを一つずつ外さなければならなかったのだけれど、ユンからは『腕をもっとピンと張って。肘はもっと曲げて。もっと早く。もっとゆっくり』という指示が飛んだわ。何をやってもOKが出なくて、最後に私は『私の肘の角度にそんなにこだわりがあるのなら、アニメを撮ったらいいわ。そうすれば全てをコントロールできるでしょう!』と叫んでしまったの」。トラン・アン・ユンは動じることなく、「君は正しいよ。この映画で僕が俳優に求めていることはあまりにも断片的で、全体を理解することは難しい。君の反抗は最も論理的な反応だよ」と答え、ベジョも落ち着きを取り戻したという。

メラニー・ロランも「撮影中は、花や家具などの極端に正確なショットをユンがどのように扱うかは全くわからなかったわ」と打ち明け、「私たちは、セットにピタリとはまる身体になることを受け入れ、コントロールされることを気にしてはならなかった」と証言しながらも、「ユンが作り上げていた美に関して、私には何の疑いもなかった。彼は自分がどうしたいか正しくわかっていたから、すべてを委ねたの」と振り返る。「ただ、音楽に合わせて撮影するからと、聴きたい音楽は尋ねてくれたので、ショパンのノクターンと答えたわ」。


完成した作品を観たキャストたちが
初めて理解したテーマ

ドレイ・トトゥは、「すべてのショットが、あまりにも審美的に構成されていたので、自分には本物らしさが欠けているのではないかと感じたほどよ」と、トラン・アン・ユンの映像へのこだわりを称える。

撮影現場では「対立した」と告白したベジョも、完成した作品を観て「圧倒されて、尋常ではないくらい感動した」と絶賛する。「この作品は人生のサイクルを語っているわ。死や悲しみや痛みがあっても、そのサイクルは続く。物語の要は愛であり、愛がいかに絶え間なく再生されるかが描かれているの。この映画を観て、人が持つ永遠という感情は、小さな日常の些細なことから構成されているのだと気付いたわ。なぜユンが私たちに説明できなかったのかも理解できた。これは、人生が差し出す最も美しいものに対しての讃歌よ。そして、この映画が伝えるメッセージは、次の世代に物事を受け渡すことの重要性ね。家族の絆が失われている今、私たちを結びつけるのは、死ぬまで信頼できる愛と友情なの」。

ロランも同じく、「物事を継承することについての物語よ」と解説し、「これは女性についての素晴らしい映画ね」と付け加える。「単なるブルジョワ階級の妻たちの話ではないわ。女性がほとんど権力を持たなかった時代を背景に、ユンは非常にパワフルな母親たち、突き詰めていくと自由でさえある母親たちとして、女性のキャラクターを描いた」。その一つの例として、ロランが演じるマチルドと、ベジョ扮するガブリエルの友情について語る。「ガブリエルの最後の選択は、現代では誤解されるかもしれない。でも、映画では普通あまり見られないやり方で、女性の堅実さや友情を描いているの。深い意味では男女同権主義的な作品だと思うわ。多くの死が登場するけれど、世代から世代へと受け継がれる大事なことは愛だけ。これは愛を受け継ぐことについての映画なの」。

アンリを演じたジェレミー・レニエは、「この映画は、非常に感動的に、人と人のつながりの力を描き出している」と語る。「美があらゆるところに存在するのも、素晴らしい点だ。いくつかの世代を通して、純粋な時間の流れを感じさせてくれる作品になればいいと思っていたが、その通りになったね」。

シャルルを演じたピエール・ドゥラドンシャンは、「本作は、偉大な芸術家によって描かれた絵であり、映画であり、演劇のようでもある。芸術世界のあらゆる種類のものの交差点に存在しているんだ。皆も言っている通り、まさに愛と人生への讃歌だね」。